2025年 09月 13日
京都の風に吹かれて 浴恩園蓮譜、別名「白川侯蓮譜」を観る 4
京都の風に吹かれて 浴恩園蓮譜、別名「白川侯蓮譜」を観る4
浴恩園蓮譜、別名「白川侯蓮譜」
本篇は、松平定信(1759-1829)の庭園・「浴恩園の蓮」を描いた図譜ですが、松平定信と浴恩園の歴史を紐解きながら、国立国会図書館蔵のものより、あくまで趣味的に観ていきます。
● 松平定信と浴恩園の簡略史
又、谷文晁 画、皆園主人圭(出版)があり、朝岡旦嶠 が、それを写した画が残っています。
● 浴恩園図記 広瀬蒙斎 著、谷文晁 画、朝岡旦嶠 写 明治18年(1885年)
国立国会図書館蔵のものより
浴恩園図記 ・第7図 の続き
第8図・澹然亭(春風館の北にある)

第9図

第10図・講武堂

第11図・感故亭(秋風亭の傍らにある)

第12図・栁湾倉

第13図・寂然亭(園の東南の隅にある)
文末・寛政乙卯秋九月とあるが、これは寛政7年のこと。
又、「蒙斎先生文集」によると、これは享和元年六月とある。

巻末・寄題浴恩園 小詩十二首

浴恩園図記の諸亭の説明文および巻末の寄題浴恩園 小詩十二首
については、東京市役所編纂 「東京市史稿」 遊園篇第貮、昭和4年 に起文されたものがあります。
↓
又、これに関連して、浴恩園の各・諸亭を詳細に画いたものがあります。
● 浴恩園西御殿並諸亭[シャ]坪割図 皆園主人圭(*出版) 写 明治17年(1884年)です。
これを国立国会図書館蔵のものより観ると、簡潔には、下記ようになっています。
○左端・上から3番目の「寂然亭」
図1・無 図2・有 図3・有
○その下の建物「風月亭」
図2・無 図2・無 図3・有
○「風月亭」の3階
図3・有 図2・無 図3・無
図1・

図2・

図3

しかし、文政12年(1829年)3月の大火(世に云う文政の大火)で浴恩園は焼失し、その2ヶ月の5月、定信は亡くなりました。
享年70歳 でした。
松平定信の墓(東京都江東区白河一丁目 霊巌寺)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下で 利用可のものより。

又、浴恩園には焼失以前の様子を描かれたものを、さらに、それを小沢 圭次郎が写したものが残っています。
これについては、次回の掲載になります。
京都の風に吹かれて 浴恩園蓮譜、別名「白川侯蓮譜」を観る5 に続きます。

