2025年 09月 14日
京都の風に吹かれて 浴恩園蓮譜、別名「白川侯蓮譜」を観る 5
京都の風に吹かれて 浴恩園蓮譜、別名「白川侯蓮譜」を観る5
浴恩園蓮譜、別名「白川侯蓮譜」
本篇は、松平定信(1759-1829)の庭園・「浴恩園の蓮」を描いた図譜ですが、松平定信と浴恩園の歴史を紐解きながら、国立国会図書館蔵のものより、あくまで趣味的に観ていきます。
● 松平定信と浴恩園の簡略史
● 江戸浴恩園全図
又、浴恩園には「焼失以前の浴恩園の全図」が描かれたものを、さらに、それを小沢 圭次郎が写したものが残っています。
すなわち、小沢 圭次郎は、この庭園に附属する屋敷に、往時、桑名藩下屋敷があり、ここで侍医・小沢長庵を父にもつ小沢 圭次郎の次男でした。
江戸浴恩園全図 小沢 圭 写、明治17年(1884年)
国立国会図書館蔵のものより
天保13年(*1842年)壬寅 暮秋13日
浴恩園 (*松平定信)御在時之図 その1

浴恩園 (*松平定信)御在時之図 その2

上記を結合したイメージ図
浴恩園 (*松平定信)御在時之図

(*文政12年(1829年)3月の大火で浴恩園は焼失し)
しかし、焼失したものの池や山は残っていたので修復が行われ、「明治庭園記」によると天保7(1836)年には美しい景観を取り戻していたそうです。
〈国立国会図書館月報695号2019.3 による〉
ちなみに明治維新後の浴恩園は、周辺の大名屋敷地と共に海軍省の用地となり、昭和10年に築地市場(関東大震災での損壊後)が日本橋からこの地へ移転しました。
これ以降、平成30年(2018年)10月に築地市場は施設の老朽化などを理由に移転し、以降は、築地市場跡地となっています。
↓
● 浴恩園蓮譜、別名「白川侯蓮譜」
以下は、松平定信(1759-1829)の「庭園・浴恩園の蓮」を描いた図譜です。
目次1

目次2

第1図・漁山紅

第2図・紅櫓

第3図・千重紅

第4図・雪白

第5図・石苔

京都の風に吹かれて 浴恩園蓮譜、別名「白川侯蓮譜」を観る6 に続きます。

