2025年 10月 15日
明治の廣重・小林清親の光線画を観る 清親画帖1-1
明治の廣重・小林清親の光線画を観る 清親画帖1-1
本編は、明治期の浮世絵師・小林 清親(こばやし きよちか)の江戸から東京への変遷の様子を版画(光線画)で描いた作品、これを国立国会図書館蔵(NDLイメージバンク)のものより、あくまで趣味的に観ていくものです。
清親画帖 第1帙 1-30(明治9年~12年)

激動の幕末の終焉後、幕末に活躍した勤王の志士たちも、明治10年頃には殆ど、姿を消して世は、欧米諸国を模範とした国内の近代が早急に進められました。
特に都市景観を一変させていったものに、それまでものとは代わり、ガス燃料の燃焼による照明であるガス灯の出現がありました。
日本で最初に西洋式ガス灯が灯されたのは明治4年で、これは現・大阪市造幣局周辺においてであり、往時に使用されたガス灯の器具は造幣局内に現存しています。
造幣局創業当時(明治4年)のガス灯
(クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下で 利用可のものより。
ライセンスされているものより。)

これを契機に東京(江戸)においても当時市中にガス灯が灯りはじめ、出典は明らかでないが、人々は光が線条をなすのことに気づいたために「光線」という言葉が流行した、と云われています。
そして、明治9年8月31日付で版元である大黒屋・松木平吉から「光線画」と名付けられた作品「東京新大橋雨中図」など5点が驚くほど売れた以降、明治14年夏には、清親は風景画を描くことがあっても、光線画風には描かず、その制作を中止したのでした。
この光線画の特色は、光と影、光の揺らぎ、色彩の変化を細やかに写実的に捉えた木版による西洋画とも云う点にありますが、大げさに云えば、日本近代化の歴史と芸術のハーモニーのひとつが誕生し、謳歌された時期でのものでありました。
清親画帖1 より
清親画帖1 の細目(帙の裏側にある)

01・(東京銀座日報社)

02・(二重橋前乗馬圖)

03・東京橋塲渡黄昏景

04・海運橋(第一銀行雪)

05・(柳島日没)

06・(上野公園画家写生図)

07・(兩国雪中・元兩國廣小路)

08・浅草田甫太郎稻荷

09・梅若神社

10・滝の川の図

京都の風に吹かれて
明治の廣重・小林清親の光線画を観る 清親画帖1-2 に続きます。

