2025年 12月 31日
京都の風に吹かれて 神坂 雪佳の「蝶千種」観る その2-2 付・尊攘堂
京都の風に吹かれて 神坂 雪佳の「蝶千種」観る その2-2 付・尊攘堂
本編は、京都に暮らして活躍した図案家・神坂 雪佳(かみさか せっか)の「蝶千種」
明治37年、これを国立国会図書館所蔵のもの(NDLイメージバンク)より、あくまで趣味的に観ていくものです。
神坂 雪佳は、明治から昭和にかけての画家、図案家で絵画・工芸の分野で多岐にわたる活動をし近代デザインの先駆者ともされる。
京都市出身(京都市粟田口)で、本名は神阪吉隆(よしたか)。
琳派に傾倒し、本阿弥 光悦を顕彰する「光悦会」の発起人となる。
2022年(令和4年)、雪佳の功績を振り返り、約80点の作品を展示する「つながる琳派スピリット 神坂雪佳」展が、京都の細見美術館や東京のパナソニック汐留美術館で開催された。(*ウィキペディアより)
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この編、了。
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● 神坂雪佳と尊攘堂
神坂雪佳 画(自筆) 旧尊攘
京都大学貴重資料デジタルアーカイブ レコードID RB00013759
FREE LICENSE with Attribution 二次利用自由 より

<内容記述> より
明治20年(1887)、品川彌二郎が、京都高倉通錦小路に別荘を設けて、尊攘堂と名付け、維新の志士の遺墨を収集・展示し、かつ毎年、維新の運動に活躍した志士達を偲んで祭典を営んだ。
京都に「尊攘堂」を設けるというのは、吉田松陰の遺志でもあった。
この図は、品川彌二郎の恩顧をうけ、一時堂内に寄寓していた神坂雪佳が昭和12年に創立50周年を記念して描いたもの。
なお尊攘堂の史資料は、明治34年に京都大学に移管された。
(出典:平成6年度京都大学附属図書館公開展示会図録『吉田松陰とその同志』)
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● 尊攘堂の歴史
品川弥二郎は、維新後、明治3年、ドイツ、イギリスにも留学し、明治17年には、子爵となる。
そして、上述のように明治20年、高倉通・錦小路小路付近に土地を購入、吉田松陰の松下村塾に関する資料を蒐め公開した、これが尊攘堂の最初であった。
そして、ここに勤王志士の霊を祀った。
また、志士の殉難の史料、遺墨、遺品などを収集し、祭儀をも営んでいる。
尊攘堂之址(現在はない)

叉、以前、尊攘堂址の石標があったが現在はない。
また、近辺にあった品川弥二郎別邸跡には、現在、大きなマンションがある。
その後、
明治30年、第三高等学校の一部施設を利用し、京都帝国大学が設立される。
これにより、(東京の)帝国大学は、東京帝国大学と改称。
明治24年、弥二郎、第一次松方内閣・内務大臣となる。
明治33年、品川弥二郎、死去。56
明治36年、尊攘堂と、その収蔵品が京都帝国大学に寄贈された。
後、尊攘堂の建物自体は転変を繰り返し、平成元年以降、京都大学埋蔵文化財研究センター資料室。
また、収蔵品は大学付属図書館が管理する。
現在・京都大学の構内にある尊攘堂

京都の風に吹かれて 次回に続きます。

