2026年 01月 09日
京都の風に吹かれて 織田一麿の石版画を観る 1・都会夜趣 版画
京都の風に吹かれて 織田一麿の石版画を観る 1・都会夜趣 版画
織田一麿(おだ かずま)は、明治期から昭和期の芸術家、版画家。
洋画を河村清雄(*明治洋画の先駆者のひとり)、石版画をオットマン・スモリック(*オーストリアの石版技士)、金子政次郎(*明治~昭和初期の版画家)に学ぶ。
「自画石版の織田一磨」として知られる。
代表作は、「東京風景」、「大阪風景」などがあり、主な作品は東京国立近代美術館などに収められている。(ウィキペディアより)
本編は、織田一麿の石版画の作品を、全て国立国会図書館蔵のもの(NDLイメージバンク)より、あくまで趣味的に観るものです。
● は、各、作品名に該当し、* は、投稿者の付記です
● 都会夜趣・版画
01・表題

↓
02・目録

↓
03 序文 川路栁虹

【意訳】
* は、投稿者の付記。
「都会夜趣」のために
織田君
君が示された この新しい四枚の版画は いたくも僕の心を興奮させました。
都会と夜ー それは実に不離な関係をもつ永遠の画趣です、人間文化の偉大な産物として、あらゆる生活々動の枢軸としての都会は全く「画の都会」にあります。
そこには活動の詩はあるが休息の音楽はない。
力の聚合(*集合)はあるが情調の和絃はない夜の幕 一たび落ちるとあらゆる その疲れた翼を収め、景は匂わしく街上の庶物をとりまき、人の心は はじめて燦めきいでる(*煌めき出でる)星のやわらかな自然の陰影と相俟って(あいまって)限りない人間的な媚(こび)をおくるのを感じます。
暗い墓のやうな夜を輝かしい宝石の如き「夜」と化せしめたのは全く「人間」の力であり「都会の力」であります。
吾々の文化の欣び(よろこび)を歌う懐かしい音楽は この夜の都会から響いてきます。
織田君
これらは君が常に親しむ都会の於ける日常生活の観察であり、記録であり、また一つの特殊な美に対する詩でもありましょう。
君は色彩の音楽的階調を喜ぶと共に、また忠実な自然の研究をおろそかにしない画家の「観察」を忘れません、君は「黒と金と青」のホイッスラー(*19世紀後半のアメリカ合衆国を代表する画家であり、卓越した版画家)的夜曲を欣ぶと共に夜の酒場に於ける疲れた労働者の面貌をも凝視します。
燭(ともしび)の日の朧な(おぼろな)光線に浮き出る舞妓の横顔(プロフィール)にパステル風の情緒を感じると共に、暗い街の一角にある屋台店の のれん(*暖簾)にも日本現代の実生活に於ける滲ましい(にじましい)吾々の胃の腑に対する欲望の象徴を最も皮肉に即興的に表現しています。
しかも これらの表現は何という巧みさでしょう。
何の渋滞もなく思うまゝの心を思うまゝに現わしたいう的確さと技巧的熟練との飽和した味わいは君が日本於ける最も卓越した石版画家(リソグラファー)の随一人であることを何人にも承認させることだろうとおもいます、これらのオリジナルな石版画からくる味わいは実に坊間の複製的工業的な石版にたいする最も皮肉な芸術的プロテストであると共に今滅亡に瀕しようとしている日本の版画のために最も愉快な反逆と勝利とを示しているものであることを感じます。
これらの版画の価値はスタンラン(*フランスのアールヌーボーの画家、版画家)やシャレ(*パリの画家)やロートレック(*フランスの画家)の有した技巧と何ら差違い功名をもつと共に またそれらの版画家と共通した稟性の君にあることをも感じさせます。
とに角 僕は この「都会夜趣」が従前の君の画集が賞玩(しょうがん・*事物の美しさ・良さなどを味わい楽しむ)された以上に この画題の興趣に共鳴を感じる人、石版の技巧に驚喜する人々の償嘆を得るであろうことを信じて疑いません。
1919年4月 東京にて 川路栁虹
*川路栁虹(かわじ りゅうこう)
昭和、戦前期の詩人・美術評論家。
詩集「歩む人」、詩集「曙の声」、評論「近代芸術の傾向」などの作品がある。
↓
04・屋台(浅草)

↓
05・ 加茂川畔 京都

↓
06・小料理店(法善寺に鶴) 大坂

↓
07・河岸(松島)大阪

京都の風に吹かれて 織田一麿の石版画を観る 2 に続きます。

