2026年 01月 17日
京都の風に吹かれて 京都画壇の中心的存在となった森寛斎の日本画を観る
京都の風に吹かれて 京都画壇の中心的存在となった森寛斎の日本画を観る
森寛斎は、幕末から明治時代にかけて京都を中心に活躍した絵師、日本画家。
本篇の画像は、全て
京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
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二次利用自由 のものより の画像です。
01・森 寛斎の肖像写真 (*これのみ肖像写真です。)
維新特別資料文庫 肖像
レコードID RB00021524

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02・十萬堂女人形記 森 寛斎 筆
維新特別資料文庫 史料
レコードID RB00013863

十萬堂は、元禄時代の代表的な俳人・小西来山が晩年に住んでいた場所の名前。
彼はこの地で静かな余生を送り、多くの名句を残し、建物は戦災で失われたが、大坂・今宮の地にあった。
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03・猪の図 森 寛斎 筆
維新特別資料文庫 絵画
レコードID RB00013687

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04・鬼念仏 森寛斎・ 和気真澄 筆、中井櫻洲讃。
維新特別資料文庫 絵画
レコードID RB00013723

*鬼念仏は、鬼が法衣を着て、鉦や撞木(しゅもく・*仏具の鐘棒)を持った姿を描いたもの。
鬼の姿は、仏教の教えにおける三毒(貧欲、瞋恚、愚痴)を象徴し、自己の欲望や執着を示しています。
*中井櫻洲は、通称、中井 弘。
幕末・明治の政治家で維新後は、滋賀県知事、京都府知事などを歴任、詩文を能くした。明治27年、歿、57才。
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05・錦旗之図 森寛斎自筆、 品川弥二郎 賛。
維新特別資料文庫 絵画
レコードID RB00013765

*本図は、甲子25年祭記念の掛図です。
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06・人体的異人図 森 寛斎 自筆
維新特別資料文庫 絵画
レコードID RB00013765

*内容記述によると・・
森寛齋は、長州藩士石田傳内の子として文化11年(1814) に生まれた。
幼少時から絵画を好み大坂に出て森徹山の門に入った。
この頃の京阪の画壇は、円山應挙の円山派、松村呉春の四条派が風靡して写実主義が主流であった。
徹山は森狙仙の義子で應挙に学び円山派を大坂に広めた。
徹山に師事した寛齋の画技は進歩し、やがて望まれて徹山の義子となるが、勤皇の志篤く、尊攘の事にも奔走した。
維新後は再び画道に専心し、明治23年(1890) には帝室技芸委員を命じられ、門下からは山元春挙のような画家を排出した。
永らく京都画檀の重鎮として活躍したが、明治27年(1894) 6月81才で没した。
この異人図は、箱書には人体的異人図と記されており、元治元年(1864) に描かれたものである。
背景として、文久3年(1863) 朝議により、5月10日が攘夷決行の期日とされた。
これにより、長州藩は、下関海峡で米・蘭・仏等の外国艦船を砲撃した。
一年後の5月10日長州藩主毛利敬親は、下関攘夷戦争の1周年を記念して臣下と祝宴を開いた。
藩から上京する者が相次ぐ中、情勢は緊迫の度合いを強めていった。
藩地にあった少壮の尊攘の志士達は、寛齋に依頼して異人図2面を作成してもらい、記念日にはこれを銃撃して祝意を表したという。
幾許もなく(*まもなく)、池田屋の変、禁門の変が勃発し、関わった者のほとんどが戦没して、僅かに弾痕に記された人名が、この時の意気を留めている。
この後、この画は、転変のうちに、その存在を忘れられてしまったが、明治26年(1893) 9月に尊攘堂に納められた。
この間の事情については、松本鼎(尊攘堂委員)の記した次の箱書によって詳細を知ることができる。
*箱書によると・・
人體的異人圖
有距今三十年、元治元年甲子五月十日者、於長門國赤馬關檀浦砲撃異艦一周年也。
(*今から30年前、元治元年5月10日は、長門の国、赤間関[下関]・壇ノ浦において、外国艦隊が砲撃をした1周年であります、の意。)
我公飲酒於諸臣以祝焉。
時在京都藩邸同志者相謀、囑森寛齋畫異人圖、翁以意想作此國二葉囚貼付之戸板於蹴上邸銃撃射的亦表祝意也。
余與品川・阿武二氏亦與焉。
及六月五日・七月十九日變起、嚮相謀者、十中八九戦歿、無復知其事者。
今茲明治二十六年九月五日、於京都東山招魂場、擧行元治元甲子年殉難士三十年之祭典 陳列遺墨于高臺寺方丈、豐後屋友七遺族出此圖。
乃翁所畫之一而、品川氏所與友七者也。
彈丸箭鏃之痕、依然猶存、使人追懷往事。
因強請之、装釘以納尊攘堂云。
友七者藩用達也。
明治二十六年九月 松本 鼎謹誌
修祭事之後二日、寛齋翁開八十壽筵、假集所畫繪畫四百餘矣。
此圖亦其一也。
因請捺其印章。翁亦驚其奇遇云。
並識。 と、ある。
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07・千鳥図
維新特別資料文庫 絵画
レコードID RB00013946

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08・鉄杖鬼落角図
維新特別資料文庫 絵画
レコードID RB00013960

*鉄杖鬼落角(てつじょうおに らくかく)の意味は、鬼の角が牛の角と虎の皮のふんどしを身につけているという伝統的な姿を云う。
鬼は、牛の角を持ち、虎の皮のふんどしを着用することで、邪気を払う役割を果たすとされている。
鬼に鉄杖(おににてつじょう)強い者がさらに強さを得ること、に通じます。
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09・農工商之霊像三体図
維新特別資料文庫 絵画
レコードID RB00013960

*士(武士)、農(農民)、工(職人)、商(商人)の4つの職業を指す言葉ですが、現在では、あくまで社会の様々な職業に従事する人々を表す言葉としての意味が強調されています。
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10・富士図 森寛斎(公粛)筆 明治17年写
維新特別資料文庫 絵画
レコードID RB00014032

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11・文久三年加茂行幸図 森寛斎筆
維新特別資料文庫 絵画
レコードID RB00014040

*加茂行幸は、孝明天皇が文久3年(1863年)に賀茂社に訪れ、攘夷祈願を行ったことを云いますが、この行幸は、幕府の国難を乗り越えるための公武合体を実現するための重要な段階であり、朝廷と幕府の協力を示すものでした。
この編、了。
京都の風に吹かれて 次回に続きます。

