2025年 11月 16日
京都の風に吹かれて 明治の日本画家・尾形月耕の「義士四十七士・赤穂義士銘々伝」を観る 2
明治の日本画家・尾形月耕の「義士四十七士」を観る 2
赤穂事件については、様々な創作物により描かれてきています。
本編は明治の日本画家・尾形月耕が描いた四十八士を尾形月耕が描いた「義士四十七図(月耕画)」「赤穂義士銘々伝(隅田古雄 編・尾形月耕 画、錦耕堂、明治18年11月 」(国立国会図書館所蔵)のものより、あくまで趣味的に観ていくものです。
(義士四十七図)
07・吉田忠左衛門兼亮 (よしだちゅうざえもん かねすけ)
吉田忠左衛門兼亮 郡代 世禄200石
明治35年10月 発行
【戒名】刄仲光 剣信士 行年64才

(赤穂義士銘々伝)

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(義士四十七図)
08・近松勘六行重 (ちかまつかんろく ゆきしげ)
近松勘六行重 馬廻 禄250石 行年34
明治35年10月 発行
【戒名】刄随露 剣信士

(赤穂義士銘々伝)

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(義士四十七図)
09・大石主税良金 (おおいしちから よしかね)
大石主税良金 良雄ノ男 部屋住 行年16
明治35年10月 発行
【戒名】刄上樹 剣信士 行年16才

(赤穂義士銘々伝)

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(義士四十七図)
10・貝賀弥左衛門友信 (かいが やざえもん とものぶ)
貝賀弥左衛門友信 蔵奉行 禄金10両3人扶持 行年54
明治35年2月 発行
【戒名】刄電石 剣信士

(赤穂義士銘々伝)

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(義士四十七図)
11・勝田新左衛門武尭 (かつたしんざえもん たけたか)
勝田新左衛門武尭 馬廻リ 禄100石 行年24
明治35年4月 発行
【戒名】刄量霞 剣信士


(赤穂義士銘々伝)

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(義士四十七図)
12・間瀬 孫九郎正辰 (ませ まごくろう まさとき)
間瀬孫九郎正辰 正明嫡男 行年25(*23)
明治35年3月 発行
【戒名】刄太及 剣信士

(赤穂義士銘々伝)

京都の風に吹かれて
明治の日本画家・尾形月耕の「義士四十七士・赤穂義士銘々伝」を観る 3 に続きます。
2025年 11月 15日
京都の風に吹かれて 明治の日本画家・尾形月耕の「義士四十七士・赤穂義士銘々伝」を観る 1
明治の日本画家・尾形月耕の「義士四十七士・赤穂義士銘々伝」を観る 1
赤穂事件については、様々な創作物により描かれてきています。
本編は明治の日本画家・尾形月耕が描いた四十八士を尾形月耕が描いた「義士四十七図(月耕画)」「赤穂義士銘々伝(隅田古雄 編・尾形月耕 画、錦耕堂、明治18年11月 」(国立国会図書館所蔵)のものより、あくまで趣味的に観ていくものです。
義士四十七士の掲載順序は、「義士四十七図(月耕画)」の目録に従い、
義士四十七士の姓名は、WIKIの表記に従いました。
(*)の年令は、 WIKI、吉川弘文館・国史大辞典などによるものです。
(義士四十七図・目録)

(義士四十七図)
01・大石蔵助良雄大 (おおいしくらのすけ よしお(よしたか)◆
浅野内匠頭家来大石内蔵助良雄
執事録1,500石 忠誠院刃空浄剣居士
元録16癸未2月4日 行年45
【戒名】忠誠院刃空浄剣居士

(赤穂義士銘々伝)

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(義士四十七図)
02・堀部弥兵衛金丸 (ほりべやへえ かなまる(あきざね))
堀部弥兵衛金丸 江戸留主居 (*前)禄300石 行年78(*77)
【戒名】刄毛知 剣信士

(赤穂義士銘々伝)

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(義士四十七図)
03・大石瀬左衛門信清 (おおいしせざえもん のぶきよ)
大石瀬右衛門 馬廻 100石(*150石) 行年37(*27)
明治35年10月発行
【戒名】刄寛徳 剣信士

(赤穂義士銘々伝)

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(義士四十七図)
04・岡野金右衛門包秀 (おかのきんえもん かねひで)
岡野金右衛門包秀 馬廻200石 行年24
明治29年4月 発行
【戒名】刄囘逸 剣信士

(赤穂義士銘々伝)

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(義士四十七図)
05・杉野十平次次房 (すぎのじゅうへいじ つぎふさ)
杉野十平次次房 近習 金8両3人扶持
明治35年10月 発行
【戒名】刄可仁 剣信士 行年28才

(赤穂義士銘々伝)

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(義士四十七図)
06・村松三太夫高直 (むらまつさんだゆう たかなお)
村松三太夫高直 秀直嫡男 行年27
明治35年10月 発行
【戒名】刄清元 剣信士

(赤穂義士銘々伝)

京都の風に吹かれて
明治の日本画家・尾形月耕の「義士四十七士・赤穂義士銘々伝」を観る 2 に続きます。
2025年 11月 14日
京都の風に吹かれて 明治の日本画家・尾形月耕の「月耕随筆」を観る 3
京都の風に吹かれて 明治の日本画家・尾形月耕の「月耕随筆」を観る 3
尾形月耕(おがた げっこう)は、明治20年代には水野 年方と共に「新聞挿絵」の双璧として絶大な人気を得ています。
本篇では月耕が描いた戦国時代の武士の雄姿や、中国の昔話・故事など、自由奔放なテーマで人間や動物・風景などを描いたもの(月耕 画、武川利三郎、明治24-28年)これを国立国会図書館蔵(NDLイメージバンク)のものより、あくまで趣味的に観るものです。
説明文は、投稿者によります。
WIKI、その他の資料を参照し、簡略に心掛けました。
33・不動神力(*ふどうしんりき) 祐天
祐天(ゆうてん)は、浄土宗大本山増上寺36世法主で江戸期を代表する呪術師。
彼が子供の頃に成田山新勝寺の不動明王の長利剣を飲み込む場面・・・
これにより、智慧と霊能力が備わったとされる。
34・小督(*こごう) 嵯峨野庵
平氏全盛の頃、宮中に上がった中納言・藤原成範の娘(小督)は、高倉天皇の寵愛を一身に受ける。
彼女を紹介したのは中宮でその父である平清盛は、天皇が中宮である娘を差し置いて小督に溺れる事に怒り狂い、小督を宮中から追い出し、小督は嵯峨野に隠れるも見つかり、無理矢理に出家させられる・・・小督哀話の結末は儚い(はかない)ものであった。

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34・江の島参り
ちなみに江ノ島神社は、「辺津宮」、「中津宮」、「奥津宮」の三社からなる神社の総称。
35・天拝山 菅原道真
天拝山(てんぱいざん)は、福岡県筑紫野市にある標高257.4mの山。
その山の名は、平安前期、昌泰の変(しょうたいのへん)で太宰府に左遷された菅原道真が、自らの無実を訴えるために何度も登頂して、天を拝したという伝承に由来する。

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36・浅茅か原 一ツ家
浅茅ヶ原の鬼婆(あさぢがはらのおにばば)は、東京都台東区花川戸の伝承話。
一つ家の鬼婆(ひとつやのおにばば)、一つ家(ひとつや)あるいは土地の名前だけを採り、浅茅ヶ原(あさぢがはら)とも称される。
用命天皇の時代、一軒家に棲む老女が宿泊する旅人を殺して金品を奪っていたなどとする逸話は各地で見られたと云う。
37・西行法師
心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ・・
まさに、西行法師のこの句の描写を再現している。

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38・九尾狐(きゅうびのきつね・きゅうびこ)
中国では九尾狐は、9本の尾をもつ伝説上の狐の霊獣・妖怪。
日本では、平安時代末期に鳥羽上皇の寵姫であった玉藻前(たまものまえ)美女の正体が「狐」であったと云う物語が14世紀『神明鏡』に見られる。
39・雄略天皇 葛城山の狩図
記紀(きき・*古事記と日本書紀との総称)によると、それまで、各地の有力豪族による連合体であった日本列島は、雄略天皇の登場により専制支配が確立され、中央集権体制が始まったとする見方もあると云う。

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40・名工 左 甚五郎
左 甚五郎(ひだり じんごろう、ひだの じんごろう)は、江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人。
甚五郎作と言われる彫り物は全国各地に100か所近くあるが、その製作年間は300年間にも及び、出身地も様々で、名工の代名詞としても使わられたようである。
41・水江(*みずのえ)浦島
うらしまの 心にかなふ つまをえて かめのよはひを ともにぞへける
この歌は、平安前期から中期にかけての公卿・学者・書家である大江 朝綱(おおえ の あさつな)のものである。
朝綱は漢詩に優れ、書家の技量は小野道風と並び称され、書風は中国風であった。

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42・芝居
43・ 遠藤武者 盛遠(*もりとお)
承安の時(平安時代末期)の物語
盛遠は、「袈裟御前」に恋をするも、その夫(源 渡 ・みなもとのわたる)を殺めても自分のものにしたいと思いを募らせる。
ある夜、渡の寝所に忍び込み、その首を獲ったが、よく見るとそれは袈裟御前であった。
盛遠は、その罪深さを嘆き山奥を彷徨い(さまよい)、出家して「文覚」と改めたのであった。
この光景は、渡の寝所に忍び込むところであろう。
だが、そこに寝ていたのは・・・

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44・日暮門(ひぐらしのもん)之景
日光東照宮の陽明門など、日の暮れるのも忘れて見とれてしまうほどりっぱな門の意。
45・求塚
住みわびつ 我が身捨てゝん 津の国の 生田の川は 名のみなりけりと(*謡曲求塚より)
観阿弥又は世阿弥の作と伝わる能・求塚(もとめづか)。
昔、菟名日 少女(うないおとめ)と云う女性に小竹田男子(ささだ おのこ)と血沼の丈夫(ちぬまのますらお)と云う二人の男が恋をする。
その決着は着かず、生田川(現・神戸市)の鴛鴦(おしどり)を射て、決着することとしたが、同時に同じ鳥を射ってしまった。
困り果てた少女は生田川に身投げし塚が建てられたが、その死を悼んで(いたんで)、二人の男もその塚(求塚)で差し違えたと云う・・・

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46・関の戸
表題は「関の戸」あるが、これは歌舞伎の積恋雪関扉(つもるゆきのせきのと)の一場面と思われます。
(場面)
夜の庭で関兵衛(*実は天下を狙う大伴黒主)が、雪見酒で泥酔。
後、今宵桜を伐りたおし護摩木にして焚けば、大願成就との吉相が出る。
そして、大まさかりで桜の木を切ろうとすると、気を失い、その桜の太い幹の中から凄艶な女が脱け出し目前に現れて・・ (以降は、歌舞伎を観てのお楽しみ)
47・相撲

この編、了。
京都の風に吹かれて 次回に続きます。
2025年 11月 13日
京都の風に吹かれて 明治の日本画家・尾形月耕の「月耕随筆」を観る 2
京都の風に吹かれて 明治の日本画家・尾形月耕の「月耕随筆」を観る 2
尾形月耕(おがた げっこう)は、明治20年代には水野 年方と共に「新聞挿絵」の双璧として絶大な人気を得ています。
本篇では月耕が描いた戦国時代の武士の雄姿や、中国の昔話・故事など、自由奔放なテーマで人間や動物・風景などを描いたもの(月耕 画、武川利三郎、明治24-28年)これを国立国会図書館蔵(NDLイメージバンク)のものより、あくまで趣味的に観るものです。
説明文は、投稿者によります。
WIKI、その他の資料を参照し、簡略に心掛けました。
19・衣通姫(そとおりひめ)
衣通姫伝説は、『古事記』中の一大恋愛叙事詩であり、同じ母を持つ兄妹(姉弟)が情を交わす禁忌の物語。
衣通姫の謂われは、その美しさが衣を通しても表れているところからきている。
20・釣 太公望
太公望は、中国・周の文王に見出され、周王朝の建国に大きく貢献した伝説の軍師・呂尚を指す。
この物語は、小さな目前の成功でなく、大きな目標のために為す事、必要な事を教えてくれると云う。

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21・鼡 陸州黒石 常経寺の猫
思をしるねこや 暇乞の 究鼠はむ
22・義家朝臣 名古曽関(なこそ の せき)
源義家が勿来関(なこそ の せき)を訪れた際に、以下の歌を詠む。
「ふくかせを なこそのせきと おもへとも みちもせにちる やまさくらかな」
この情景であろうが、この関は現在のところ、その所在地は考古学的には推定されていない。

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23・東中君(あずまなかのきみ)
咲けば藤花の習いやきみのせ界 一茶庵雨路
24・馬術 間垣 平九郎(*まがき へいくろう)
平九郎が高松藩士の折、徳川家光の命で愛宕山の梅花を折りに行く時に、乗馬のまま石段を上下したことにより知られる。

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25・宇佐八幡社景 和気清麻呂朝臣
和気清麻呂(わけ の きよまろ)は、奈良時代から平安時代の初期の公卿。
道鏡の皇位簒奪を阻止し、皇室への忠誠心と国家への貢献を示した光景が描かれる。
26・稲荷山 小佐治
平安期の刀工・三条宗近が、一条天皇の勅命により刀剣の製作と命じられたが、鎚打ちがおらず、稲荷神社に参拝すると、製作の折に鎚打ちの少年が現れる・・の図。

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27・乗合船 士農工商
士農工商(しのうこうしょう)は、「国中のすべての人びと」といった意味合いの儒学的表現であるが、一隻の舟を国に見立てて、その進む姿が描かれる・・
(注記)1980年代以降は、差別用語として「士農工商」は、放送禁止用語として扱われているので、その取扱いには注意を払う必要がある事を付記して置きます。
28・小野小町 雨乞
美人の代名詞・小野小町が神泉苑で歌を詠み、その徳で急に大雨を降らせた伝説の場面を・・

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29・草薙剣(*くさなぎのつるぎ) 日本武尊
駿河で日本武尊(やまとたける)が野火をかけられた時、この剣で草を薙ぎ(なぎ・*横に払い取り除く)、迎え火を起こして逃れたのに因み、草薙剣といわれ、現在(いま)も熱田神宮に祀られていると伝わる。
30・日本魂 侠客(きょうかく)
侠客は、侠(義理と勇気の心)と客(人・人物)との組合せで、弱気を助け、強気を挫くことを信条として生きる人々のことを云うが、基本的に侠客と云う職業はなく、封建時代の「風俗形態のひとつ」として扱うのが妥当とされています。

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31・舞 静(しずか)
静御前は、平安時代後期から鎌倉時代初期の白拍子(しらびょうし)。
源義経に深く愛され、義経の京都退去に従うも吉野山中で別れて捕縛された。
京都府京丹後市に生誕の地石碑がある。
32・傾城 薄雲(うすぐも)
傾城(けいせい)は、近世では太夫・天神などの高級な遊女をさす。

京都の風に吹かれて
明治の日本画家・尾形月耕の「月耕随筆」を観る 3 に続きます。
2025年 11月 12日
京都の風に吹かれて 明治の日本画家・尾形月耕の「月耕随筆」を観る 1
京都の風に吹かれて 明治の日本画家・尾形月耕の「月耕随筆」を観る 1
尾形月耕(おがた げっこう)は、明治20年代には水野 年方と共に「新聞挿絵」の双璧として絶大な人気を得ています。
本篇では月耕が描いた戦国時代の武士の雄姿や、中国の昔話・故事など、自由奔放なテーマで人間や動物・風景などを描いたもの(月耕 画、武川利三郎、明治24-28年)これを国立国会図書館蔵(NDLイメージバンク)のものより、あくまで趣味的に観るものです。
説明文は、投稿者によります。
WIKI、その他の資料を参照し、簡略に心掛けました。
01・目録
02・伊邪那岐 伊邪那美二神 立天浮橋図
伊邪那岐(イザナギ または イザナキ)は日本神話に登場する男神。
伊邪那美(イザナミ)は日本神話の女神で神世七代の七代目(妹)。

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03・廬生 夢之図
「盧生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、都に向かう途中で、栄旺栄華を極めた夢を観て悟り、故郷へ帰って行った故事にまつわる邯鄲の枕(かんたんのまくら)の故事。
04・花 売る人 花 活る(いける)人

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05・仁徳帝 望 民家乃図
第16第天皇・仁徳(にんとく)天皇で、4世紀末から5世紀前半に実在した可能性のある天皇である。
即位4年、人家の「かまど」から炊煙が立ち上っていないことに気づき、3年間租税を免除した話で知られる。
06・河越 布袋之図

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07・井の頭 弁天の真景色
井の頭弁天(大盛寺・三鷹市井の頭)
江戸町人から信仰された井の頭弁財天は、天慶年間に関東源氏の祖・源 経基(みなもと の つねもと)が、伝教大師の延暦8年(789年)作とされる弁財天女像をこの地に安置したのが始まりと伝えられている。
08・母里 太兵衛 虎狩図
母里 友信(通称・太兵衛、多兵衛)は、黒田孝高(→長政)に仕え、槍術に優れ、黒田二十四騎でも特に重用された勇将として、又、黒田節で名槍・日本号を福島正則から呑み獲った逸話でも知られる。
母里(もり)は、黒田家中での正式な読みは「ぼり」である、とのことである。

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09・遊君(ゆうくん) 地獄大夫
遊君は遊女(あそびめ)のこと。
現世の不幸は、前世の戒行が拙い故(つたないゆえ)であるとして、自ら地獄と名乗ったと云われる。
10・龍昇天
富士山を背景に、雲の中を龍が昇って行く壮大な光景が描かれている。

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11・縫乃工 呉織 穴織(くれはとり あなはとり)
応神天皇天の頃、大陸から呉織・漢織の2人の織り姫が渡った伝承があり、古代日本の女性渡来人(帰化人)の職工の名とされる。
日本書紀に、この縫工女招致に関する伝承が収載されている。
12・流人 俊寛(しゅんかん)
俊寛は、平安時代綱紀の真言宗の僧で、『平家物語』の覚一本(屋代本)によると、鹿ケ谷の陰謀で藤原成経、平康頼、俊寛の三人が「鬼界嶋」(現・鹿児島県硫黄島が有力説)に流されたとされている。

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13・鬼ヶ島
桃太郎たちが鬼ヶ島へ行った図はよく見かけますが、こちらは桃太郎たちが鬼ヶ島に来ましたと云う鬼目線での描写になっています。
14・佳人 わらひつみ(*わらびつみ)
佳人(かじん)は、美しい女の人の意。
漢字の「佳」は、容姿が素晴らしく綺麗な女性を指しています。

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15・加藤清正 賤ヶ獄 軍功之図
天正11年(1853年)4月、羽柴秀吉に仕える加藤清正が、静ヶ岳の戦いで敵将・山路正国を討ち取る図。
16・養老 孝子 瀧を汲の図
親孝行な子の「孝子伝説」で知られる「養老の滝」。
孝子が山で酒の泉を発見し、それを汲み取ろうとしている。

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17・大臣 武内 宿祢(たけのうち すくね)
武内 宿祢は、景行(けいこう)天皇から仁徳(にんとく)天皇までの5人の天皇に仕えた200才から300才以上とされて、伝説的な大臣で謎の人物。
18・連雀

京都の風に吹かれて
明治の日本画家・尾形月耕の「月耕随筆」を観る 2 に続きます。

